動物写真を楽しもう~壺齋散人の生命賛歌
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キリンの死の波紋:動物園の使命とは何か



先日、動物園がキリンを殺してライオンに食わせたことについては、このブログでも紹介したところだ。その舞台となったのは、コペンハーゲン動物園。動物園では、1歳6か月になるキリン(マリウスという名前だ)を殺処分する方針を固めたあと、それを公表したのであったが、思いもかけず多くの意見が寄せられた。意見の多くはマリウスの助命を嘆願するものだった。ところが動物園サイドでは、こうした嘆願を無視するかのように、マリウス殺害の方針を変えずに、そのまま実施した。

実施方法が振るっている。誰にも知らせずにひっそりと殺すのならともかく、殺害の現場を公表したのみならず、殺害後にマリウスの死体を、子どもたちを含めた観客の目の前で解体して(これを解剖と称したそうだ)、遺骸の一部をライオンに投げ与えて、食わせてやった。

こんなわけだから、動物園のやり方についての批判(非難と言ったほうがよい)が、世界規模で沸き起こった。思わぬ反響に驚いたらしい動物園では、様々な理屈を動員して弁明に努めているが、とても世界中の動物愛好者たちをなだめるには至っていない。

批判(=非難)の論点はいろいろあるが、最も多いのは、次のようなものである。すなわち、動物園の役割とは動物を保護することであって、動物を殺すことではない。どんな理由からにせよ、動物園が動物を殺すことは、動物園が自分の存在意義に異議を申し立てるに等しい。自分の存在意義に異議を申し立てるような存在は、この世に存在している意義がない、そんなものは速やかに存在をやめるべきである。つまりコペンハーゲン動物園は、廃止されるべきである。

こういわれて、コペンハーゲン動物園にとどまらず、世界中の動物園は返す言葉がないだろうと思う。(写真はキリンのマリウス:ナショジオから)

(参考)Killing of Marius the Giraffe Exposes Myths About Zoos : For the Copenhagen Zoo, it seems Marius was worth more dead than alive.







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